最近、ちょっとした息抜きに近くの公園や、
川沿いの遊歩道なんかを散歩するのですが、
途中いろいろな人とすれ違います。
例えば、、、
- 毎日犬の散歩をしているおじいさん。
- 派手なスウェットに身を包んだ、ランニングするお兄さん。
- 額に汗して、一生懸命散歩するウォーキング中のオジサン。
- スマホ片手に、狭い歩幅でテクテク歩く女性。
僕は基本的に、人間観察が好きなので、
すれ違う人達が、どんな気持ちで歩いているのか
ちょっと考えてみたりします。
もちろん、前から綺麗なお姉さんがくれば、
迷わず振り返る僕ではありますが、笑
例えそうでなくても、老若男女問わず
やはり気になるのは、表情の部分です。
人間不思議なもので、
表情が生き生きとしている人は、年齢を問わず
すれ違いざまに、爽やかな挨拶をしてくれますし、
ご機嫌なのが見ていて伝わってきます。
たった一言交わしただけで、
こちらまでちょっと明るい気持ちになります。
一方、表情がちょっと曇りがちな人は、
やっぱり覇気がなくてなんだか不機嫌です。
きっと何か嫌なことがあったのだと思いますが、
ムスッとしていて、どんよりとした暗い雰囲気が
とっても重苦しくて声をかけるのが躊躇われます…。
僕は、両者の表情の違い、
しいてはその醸し出す雰囲気が、
何によるものか?を考えてみました。
今日は、そうした部分についての考察を、
ちょっとだけ語ってみます。
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笑顔の人は「幸福感」を自ら味わえている!?
いきなりですが、
あなたにとって「幸せ」とは何ですか?
ちょっとテーマが大きすぎるので、
すぐには答えが出るものではないかもしれません。
・好きなものが買えれば幸せ!
・好きな人と結婚できれば幸せ!
・お金さえあれば幸せ!
・日本人に生まれただけで幸せ!
人それぞれに色んな価値観があるわけですから、
その数だけ幸せの形はあると思います。
でも一つ確かなのは…
幸せの定義は、人によってまちまちだということです。
もしあなたが現在、
若くてモテモテで、お金があって、綺麗で、
カッコよくて、誰もがチヤホヤしてくれる。
そんな人生であれば、
きっと幸せを感じているかもしれません。
でもちょっと待ってください。
その幸せは本物の幸せですか?
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子供から大人へ…幸せの定義にも進化が必要
人は必ず歳を取ります。
外見や容姿というのは若い時の
資産の一つですが、それは一時のものです。
「若さ故の武器を使って何が悪い!」
その気持ちはわかります。
別に悪いことではありません。
ただ、僕自身がそうであったように、
若い頃の「幸せの定義」は、所有に偏ります。
それも、先ほど挙げたような
恵まれた条件を持ち合わせていて、
若いうちからその所有欲を満たせる人は、
ほんの一握りの人に限られます。
若さをもってしても満たされなかった、
大部分の人達は、歳をとっても20代前半の
社会的にまだ未熟であった子供時の精神状態、
「幸せの定義」のまま、進化させることなく持ち続けています。
僕は、人間が成長するということは、
自分自身の「幸せの定義」が進化していくこと
だと思っています。
年齢とともに、自分の幸福感の定義を、
お金や物といった物欲的な所有欲から、
精神的な心の進化へと定義が進歩して、
「自分は幸せだな」と感じられる人は、
歳をとるほどに幸せになっていきます。
実際、冒頭のすれ違った人たちをみても、
幸せに年齢が関係ないことがよくわかります。
いや、逆にむしろ年をとればとるほど、
幸福を感じられる人と、ただ歳をとることを
劣化だと受け取る人とでは、
今後、その差はどんどん開いていくことでしょう。
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今日のまとめ
幸福は目には見えません。
持つもの(所有)ではなく、感じるものです。
どんなにお金があっても、どんなに社会的に
地位があっても、どんなにモテモテでも、
本当の意味での幸せはそこにはないのです。
「幸福」というのは、
形のあるものではないのですから。
笑顔が素敵な人や、
表情が生き生きとしている人がご機嫌なのは、
自分で幸せを定義して、成長し、進化を感じ、
そこに幸福を見出しているからです。
幸福の定義を成長させて、
歳をとっても、その分だけ進化した
幸せを心の底から味わいましょう!